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ログハウス造り日記(1) 2002年3月〜8月末 |
2002年3月23日
二十年以上住み慣れた川崎を出て、”ログハウスde田舎暮し”を求めて、故郷の岡山県旭町にUターン。 前年から2・3度帰省して土地探しをしたものの、この時点では、ログハウスを建てる土地はまだ決まっていなかった。 そのうち年が明け、川崎のマンションの売却が先に決ったので、あわてて幼馴染の友人に泣きついて、その留守宅を仮住まいとして借してもらえることになり、そのおかげでやっとのことで実現した引越しだった。
引越しの翌日ー「我が家の足の第一号がやって来た!」
ログハウスを建てた田舎暮しの先輩達は、みんな口を揃えて「田舎だと、軽4が一番便利がいいよ」と言っていた。 そこで、早速引越しの翌日、農協のSSで「軽トラの中古は出てきませんかね?」と聞いたところ、「Tさんが、余り乗らないから誰か買う人いないかなー、と言ってたよ」との返事。 Tさんは、上記の借家のオーナーのおじさん。 私たちが家を借りるまでは、この家を管理されていた人。 またまた、ご縁がありますねぇ! 早速ご自宅をおたずねして聞いて見ると、即、値段交渉の上「キーを渡すから、今日からでも使っていいよ」とのこと。 これで取りあえずの足は確保できた! やはりここでは車がないと何も出来ない。
引越しから約10日後
母方の親戚先の二従兄の紹介で、町内の上口という地域にに土地が決定!。
2002年4月後半〜5月後半
土地が決まったので、ログハウスの広さ・部屋割りなど設計に掛かる。 ログ部材購入の候補として、現実の図面に基づいて見積まで検討したのは、
ー タロー
ー ホンカ
ー ロマ (いずれもフィンランド)の三社。
いずれも、モデルハウスと現実に建てている現場を見学し、使用されているログ材の現物も見て確認。 もとログビルダーだった人の話によると、以前はホンカのログ材はとてもよかったが、今はちょっと変わって来ていると言う。 私たちが見た範囲でも、上記の三社のログ材自体はいずれもあまり大きな優劣はないという反面、ホンカの窓(枠)・ドアなどの建具は群を抜いており、それはやはり全体的な見積金額にも反映されて出て来ていることが分かった。 もちろん予算は大きな要素だから、「同じ図面に基づいて、どれだけの見積の差が出て来るか」− それを比べていくことにした。 もう一つ、決定の際私たちがもう一つ大切にしたのは、「いかに担当者といいコミュニケーションがとれるか」ということ。 これから私たちがセルフビルドで建てる為には、「私たちの希望を聞いてくれて、私たちの好みに添った形で、細かい専門的な知識を共有してくれる」ための風通しの良いコミュニケーションが期待出来る相手が不可欠だと思ったので、図面作成や値段交渉を通して、相手の対応も、そういう観点から見ていった。 業者によっては、「自分は専門化なのだし、あなた方は素人なのだから、どうせ全部自分でやれるわけじゃないのだから、最初から自分にまかせて言うとおりにしておきなさい」というようなニュアンスで、こちらの(セルフビルドの)やる気をなくさせるような対応があったのに対して、ロマのYさんは、「何でも聞いて下さい、何でも自分で出来るようにお手伝いしますよ。」という心の広い対応で、気持良く何でも相談出来たことが、私たちの希望の形に一番近い気がした。
2002年5月21日
岡山市へ − 風呂・トイレ・台所システムのショールームめぐり。 イナ・クリナップ・TOTOを回り、やはり最初の印象通り、最後に行ったTOTOが(高いが)一番気に入り、風呂の仕様を決め見積を依頼。 時間切れで、あとは後日再訪問にした。
2002年5月末
上記三社の中から、ロマの輸入代理店、日本土地山林株式会社の兵庫支店に決定 − 契約
これからログ材到着時期の9月末までに、整地・基礎造りへと視点を移す。
仕上りまでの全体的な予算概算の為に、「もし施工全体を日林でやってもらったら」という仮定で、標準的な機器・施工の全体的な見積を出してもらう。 この数字は、大きな目安になるので、後日いろんな面で大変役に立った。
2002年6月末
今まで田んぼだった土地の上層部・2メートル位を切り取って、整地作業が終わって出て来た地層をみると、下までほとんど赤土状態。 敷地うしろの斜面の切り方が頼んでいたつもりよりも急で、70度くらいある。 赤土は水はけが悪く、水分を含んでいるので、冬場霜が立つと、霜で持ち上げられた部分の土がボロボロと落ちてくると言う話。 回りからの薦めもあって、迷ったあげく1.5メートルほどブロックを積むことにして、基礎造りと共に業者の見積を依頼。 (予算が狂った第一号。)
基礎造りを自分たちでするか、業者に頼むかで迷う。
2002年7月〜8月半ば
いろいろと迷ったあげく、基礎・給排水・電気工事は、セルフビルドスクールでも勉強していない部分であるのと、あとあとの影響が大きいので、プロの業者に頼むことを決め、見積を依頼。 又、すべて自分でやった人の話や情報から判断すると、特に基礎造りはコンパネなど型ワクの材料を買って造ることになるので、使用後はほとんど再利用出来ないし、原材料費や生コンなどの費用だけでも、業者に頼んだのほとんど変わりがなく、やることの労力だけ持ちだしという感じになるらしい。 経験としてやるのは意味があるのだが...。
2002年8月中旬
裏の斜面のブロック積みと雨水処理の側溝を発注。 予算の都合上、横長の土地の裏ののり面すべてを積むわけにいかないので、とりあえずログハウスと将来車庫を建てる予定の部分のみということで妥協。お盆休みの前後、合計2週間くらいで完成。
2002年8月下旬
基礎と給排水・合併浄化槽工事の業者を決定、発注。
旭町は上水道は完備しているが、下水道は今後も予算化の方向にはないそうで、その代りというか”合併浄化槽”の補助金のシステムがある。 (既に4月頃補助金の申し込みはしてある。) 最近は地球環境への配慮からいろいろな浄化システムが開発されているが、旭町内では、この合併浄化槽一本にしぼられており、それ以上浄化力が高いと思われるシステムでも、他のシステムは受け入れられないようで、補助金が出ないし近隣の了解が得られない。 合併浄化槽で浄化された水の排水にしても、それが流れて行く先の家からなかなか了解が得られない場合も多いようで、「何のための浄化槽なのか?」と思ってしまう。
2002年8月27日
基礎業者(今後Oさんと呼ぶ)と、給排水・合併槽設置業者(今後Iさんと呼ぶ)と私たち三者で今後のスケジュールの打ち合わせ。 ミーティング後そのまま、Oさんは作業に入り、この日の内に、
ー 縄張り・やり方・墨だしと
ー 一部根切り 終了 (簡単に言うと、土地のどの部分に建物を建てるか、場所の決定をし、平面の設計図を現実の大きさで、土地の上に移す作業のこと。 素人には、各コーナーを正確に直角にしたり、水平なレベルを正確にだすことなどが難しい作業のよう...。)
2002年8月28日
午前中で根切りとベタ打ちの部分の敷石を終了。 Oさんの前半の作業部分が終わる。
基礎については、日林からの薦めで、我が家はベタ打ちのコンクリートと布基礎の両方をやることにした。 やはりログハウスは湿気対策が一番。
(写真へ)
2002年8月30日
Iさんの出番。 午前中で、給水管(風呂・洗面・洗濯機・台所)の一部をベタ打ち基礎の部分に埋め込む作業を終了。 (うちの場合は、温水・その他の敷地内の配管は、べた打ち基礎が終わって、その上をはわせることにした。 これも、ベタコンの中に埋め込むかどうかで大分迷った。 日林は最初から埋め込みを薦めてこられたが、Iさんの話によると神戸大震災後は、目で見て確認出来るというメリットで、多くの住宅業者が、床下・ベタコンの上をころがす配管を行うようになったとの話。 埋め込みにしてしまった場合、私たちもその点が心配だったので、最終的にはベタ打ち基礎の上を這わせることに決めた。)
2002年8月31日
合併浄化槽設置作業開始。 穴掘り・底の部、l分へコンクリート打ちの後、設置。 内部への水張りと、回りへ荒砂を入れて水を含ませ砂を落ち着かせる。 更に合併槽の回りに土を埋め戻す。