Mくんからのメッセージ
=心に挑戦状を=
僕は、13歳です。僕は小さい頃から、出血があると一人で病院に行って血液製剤の注射をしてもらっていました。
その血液製剤にエイズウイルスが入っていたために、僕は感染されられてしまいました。
僕が、そのことを知らされたのは、去年の11月でした。僕は、その日のことを今でもよく覚えています。その日、両親は僕にビデオを見せてくれました。ライアン・ホワイト君というアメリカの血友病の子どもがエイズで死亡した、その追悼番組でした。ライアン君は、エイズに感染したということで学校から登校を拒絶され、裁判で勝っても学校へは行けずに転校させられるという差別を受けました。それからのライアン君は、アメリカ各地でエイズ感染者に対する差別と偏見をなくすよう訴え続け、18歳で死亡したということです。そのビデオでは、葬儀の時、「ライアン君の勇気はアメリカ国民の誇りである」という大統領の弔電があったことも紹介されました。僕はビデオを見ながら本当に感激をしました。
ビデオが終わると、父が僕に向き直りました。真剣な顔をしていました。「おまえもライアン君と同じ病気にかかっている。そのことを知った時、お父さんはショックだった。お母さんは我を忘れて泣きじゃくった。おまえもショックだろうと思う。告げるべきかどうか随分悩んだが、人として生まれてきた以上、いろんな苦労を強いられる運命にある。自分の運命を知ってそれに勇気を出して立ち向かって欲しい。何も知らずにただ成り行きにまかせる人生ではなく、自分の病気を知り、これと闘って輝いて生きて欲しい。皆に希望を与える人間になってほしい。どうか勇気をもって自分の心に挑戦状をたたきつけ、多くの人々に希望を与える人になってもらいたい。どうかライアン君のように生きてほしい!」
父の目に涙が溢れていました。
僕は、ショックでした。目の前が真っ暗になりました。僕は、まもなく死ぬのだろうか。学校の友達や先生がこのことを知ったらどうなるのだろうか。そんなことがグルグル頭の中をかけめぐりました。「怖い」という気持ちが胸をしめつけるようにありました。
でも僕はなきませんでした。父と母の真剣な顔が僕を見守ってくれていました。僕はうなずきました。
数日後、父はこの日話してくれた言葉を改めて手紙にして僕に渡してくれました。その手紙は今でも大切に持っています。
この日から僕の人生は大きく変わりました。僕はエイズについての勉強を始めました。父が「握手」という名前をつけてくれた箱の中に僕が読んだエイズ関係の資料がいっぱいつまっています。
=今の時間が大切=
僕は小さい頃から、病気と闘いながら生きてきました。小さい時は自分の病気の事をよく知らず、どうして血がとまらないのか、どうして体育の授業を休まなければならないのか疑問をいだいていました。だんだんと大きくなるにつれて自分の病気がどういうものであるか理解し始め、一時は僕を産んだお母さんをうらんだ事もありました。でもそれは間違いでした。
お父さんの助言もありましたが、僕という生命体をこの世の中に授けてくれただけでありがたい。そのためにも僕は明るく生きなければならないと思うようになりました。
それから数年、月二、三度病院で血液製剤の注射をしていました。しかし、その中にAIDSウイルスが混入しており、感染しました。
皆から見れば、かわいそうな人、運の悪い人と思うかもしれませんが、僕はなんて幸せな人間だろうと思います。それは、皆のように僕を理解してくれ、助けてくれる人が、まわりにたくさんいるからです。今、AIDSに感染し、いつ発症するかわからないけど、今を精一杯生きること、僕には今の時間が大切なのです。
=もう一人の友だち=
でも、僕にはもうひとり他に友だちがいます。それがエイズです。最初は、憎いエイズと思っていたのですが、最近では、僕の中に潜んでいる悪友が暴れないように治療をつづけています。僕は、このエイズと一生つきあっていかなければならないし、よい方向を考えることにしています。
=生き抜きたい=
今、高校1年で、学校に毎日、通っています。
こんなにしてまで頑張って学校に行くのは、いろんな知識が学校で得られるからです。勉強したいのです。勉強することが生きていくことだと思うからです。
エイズの発症とは、死が近づいているということです。死んでしまいそう、死んでしまうのではと思ったことがあります。去年の3月、死を覚悟しました。病院に入院したとき入院が長くなるからと聞いたので。死ぬと思ったら、怖いと思いました。夜、寝るとき、このまま死んでしまうのではないかと思ったことがあります。特に、始めの入院中はそうでした。
怖いという感情を乗り切ることができたのは、お父さんとお母さんが、ついて来てくれて、義務感もありました。僕が死を覚悟したことを、父に話していません。心配をかけると悪いからです。父母以外にも、死を覚悟したことを話していません。今日、初めて話しました。
ときどき、死ぬのではと思います。15歳なので、本来なら、将来どうするかとか、女の子とのデートとか考えるのでしょうが、死と直面しているので・・・・・・。15歳で、なんで死を考えなければいけないのか、悔しいです。こんな目にあわせた・・・・・・・・・、よくこんなひどいことができるなあと怒りをもっています。
僕がいちばん訴えたいことは、僕と家族をこんな目にあわせた国、製薬会社が憎いということです。今、僕は体が疲れやすく、学校の通学もたいへんです。学校から帰った後は、疲れているので勉強もできません。学校には僕が感染していることはいっていません。今、僕が望んでいることは、AIDS(エイズ)を倒す特効薬を、AIDSが混じった製薬を売り続けた代わりにつくってほしい。製薬が危ないといっていた時期に、なぜ輸入をやめて回収しなかったのですか。また加熱済製薬の使用がアメリカよりも2年4ヶ月も遅れたのはなぜですか。
国はこれからこのような悲劇を出さないために管理をきちんとして、差別、偏見のない世の中をつくってほしいです。
最後に裁判長、僕自身、いつ倒れるかわかりません。どうか1日も早く判決を出して、国、製薬会社に厳しくその責任をとらせることをお願いします。僕はこの裁判に勝って、生きて生きて生き抜きたいです。僕たちを絶対に勝たせてください。
資料:エイズを生きる子どもたち 10代の感染者から学ぶ (かもがわブックレット76)
菊池 治 著